2006年03月23日

第2回ツバサの部屋 ゲスト:ビリーケンキッド(その1)メキシコ編

エディー追悼Tシャツ着用
ども、遅くなりました。3/19にデルアリでありました、ツバサさんのトークイベント「ツバサの部屋」第2回の内容など、できるだけ。ゲストはビリーケンキッド大先生。ツバサさんが話を聞く形です。

まずツバサさんがテーマ曲にのって登場。「前回の反省から、30分ぐらいしたら休憩入れますから」と。…前回、そんなにすっとばしたんすか(汗)。
そして「今、旬の選手だと思うし、オレだから聞けるところもあると思うので」と、ビリーさんを呼び込む。
新テーマ曲にのってビリーさん登場。ルードの表情をつくりつつ、お客さんとタッチタッチ。これはここんとこのノリですね。
チョイ悪様登場!

そして、妙に丁寧な司会口調のツバサさんに「なんか気持ち悪いですよ(汗)」と居心地悪そうなビリーさん。「じゃ、ビリーのファンには悪いけど、いつもの感じでいい?」とツバサさん。
…へ、いつもの感じだとなんで謝るの?と思いましたが。要するに、先輩口調になるのでそのへんファンに気使いしての言葉だったようです。

ツバサ「で、今日はどこまで聞いていいんだっけ?何でもいいんだっけ?」
ビリー「そういうの、打ち合わせしときましょうよ!(汗)」
ツバサ「えーと、出身は…言っていいんだよね?」
ビリー「何がですか。僕は通天閣出身ですよ。びっくりしますねこの人は〜」

…とこんなノリで、ツバサさんに翻弄されるビリーさんでした。チョイ悪たじたじ。

リラックスモードがいい感じ
ツバサ「俺、他の選手がどうやってレスラーになったかって興味あるんだよね」と、まずはレスラーを志した最初のきっかけの話から。

ツバサさんとビリーさんは同い年なので、このへんにとても共通点があるようで。
初代タイガーマスクにはまり、その引退で熱が冷め、ライガーさんでまた少し熱が再燃し、そしてユニバーサルの浅井嘉浩選手(現ウルティモドラゴン)でまた一気にプロレスにはまったところもほぼ同じとのこと。
そして、プロレスラーになりたいと思うけど、体が小さいということで少し躊躇したところも同じだったようで。当時はレスラーといえば身長も体重もどかんと大きいのが当たり前、てのが大きかったようで。

そんなもやもやした気持ちを持ちつつ、いちおう専門学校に行くビリーさん、ツバサさんも似たような感じだったらしいですが、
ツバサ「でも俺はプロレスラーを志すにあたって、シュートボクシングをはじめたよ」
ビリー「僕はプロレスラーになるならそれからは厳しいので、遊ぶなら若い今しか遊べないと思って、その時期は遊びました」
ツバサ「それおかしくないか」…あはは(汗)。

そして、レスラーになろうと決める、決定的なきっかけの試合を見たのがこの時期。これもお2人共通で、両国国技館でのウルティモドラゴン選手の試合。
…私はプロレス見るようになってそんなに長くないので、このへんあまり明るくないのですが、お話から調べた感じだと、92年11月の対エルサムライ戦かしら。

このへんの試合の前後のことまで詳細に覚えているビリーさん、ウルティモさんのマイクに感激しまくり、他のことはあまりおぼえていないというツバサさん。このへんは性格かしら(笑)。

ツバサ「でも俺、その試合浅井さんちで見せてもらったよ」…ツバサさん、時々ちらっと自慢入ります(笑)。でもその口調にイヤミがなくて、誇りとうっすらかわいげが。

当時ゴングで連載されていた浅井さんのコラムを読み、メキシコに行けば体格が小さくてもレスラーになる道があることを知るビリーさん。しかし浅井さんには新日本の道場で練習した下地があるし、何もない自分がいってどうだろう…とまだ不安な心。

が、「レッスルボーイ」という雑誌に掲載された、何の下地もなく単身メキシコに渡り、そしてデビューした選手がいることを知るビリーさん。それが磁雷矢選手だったと。
…ほー。なんか感慨深い。

ビリー「それでもまだ悩んでましたね」
ツバサ「いろいろ考えるほうだね。俺は考えるより先にやるけど」
…行動するまで、すんごい悩み考えるタイプと、ばっとやってしまうタイプと対照的ですね。このお2人はどちらにしても、行動後のパワーはすごいなあと思いますが。

それから、親御さんには「語学留学したい」と嘘をつき(汗)、家業を手伝ってお金を貯め、留学の手続きをとってメキシコへ。

ツバサ「計画的犯行だね。用意周到というか」
ビリー「メキシコに行ってレスラーになるって、友達にも誰にも言わずに行きましたもん」…うわ、意思強い。
ビリー「なぜなら、失敗した時にかっこ悪いから」…そういうオチすか(汗)。
ツバサ「俺は人に宣言して自分にプレッシャーかけるタイプだね」…このへんも性格はビリーさんと対照的かも。

*****
そしてメキシコに渡り、クエルナバカという土地へ。ここに行ったことも不思議とツバサさんと共通するそうです。きれいな別荘地で、あまりルチャドールを目指した人が来る土地ではないとのこと。

そして「レッスルボーイ」のコピーを持って、載っていたジムを探したりもしたそうですが、不安感もあってなかなか行動に移せなかったところ、日本語のできるメキシコ人に聞いたら自分の友達がルチャドールなので紹介してやるよ、と。…こういうことはメキシコではよくあるそうです。生活に根ざすルチャ。

そしてルチャのジムに入門。
ビリー「入門したのが10/9で、新日とUインターが抗争した日なんですよ」…ビリーさん、あなたホントマニアだったんすね(笑)。
その後、ステイ先を出て1人暮らしをはじめ、ジムもブラックパワーのところへと移り、デビュー。
以前の月刊大阪プロレスでのインタビューでも書いてましたが、子供達がバスケやってるとこをどかしてリングを組んでという形。

ツバサ「当然ギャラなんかでないよな?」
ビリー「ナシですね。今思えば、ポジョ(あちらの鶏料理)を『食え』って出されて、あれがギャラ代わりだったと思います。そんなもん食えるかーって、持って行ってたカロリーメイトを食べましたけど」
ツバサ「お前、ゼイタクな」
ビリー「違うんですよ、カロリーメイトとか貴重だから、こういう時のためにとっておいたんですよ、そしたらブラックパワーが『それなんだ?くれ』って言うから仕方なくあげたら『うまいな。もう1個くれ』って。ふざけんなよー!」
…苦労時代がしのばれます(汗)。ていうか、試合のために大事にカロリーメイトとってたことがなんか好き。セコイとこも含めて(汗)。
にこにこ。

ツバサ「デビューは素顔?」
ビリー「素顔でしたね。青のショートタイツに、なぜかシューズとニーパッドは黒という。」…。
ツバサ「うわ。お前その格好でたってるだけでいいよ(笑)」
ビリー「で、あまりにもみすぼらしいので、あるコス屋さんが赤のロングタイツを作ってくれて、それに鉢巻(デコにはリングネームと日の丸)、腰ヒモ、そして冨宅さんが着てるような赤のガウンの、すんごいペラペラのヤツ」…わー(汗)。

ツバサ「俺、ビリーをはじめてみたのはテレビでなんだよね。ミステリオがやる619、タイガーフィンタ(フィンタ・レギレテ)をやろうとして、セカンドロープで股間を打って。それ、メキシコ全土で流れたんだよな」…わわわ(汗)。
痛打
参考:マスクドポコティさんによる再現画像(2005.9.19大阪プロレス神戸大会より)スカイA放送より

ビリー「その失敗した時、日本人カメラマンがいたんですけど、目をそらして『ああ〜』って。メキシコ人は指差して『ヒャッハハハ!』って」
ツバサ「俺は見ててむかついたよ。あのイメージは消えないぜ。放送で3回くらいリピートしてたけど、きれいな技はリピートで流れるんだけど、あれどんな解説してたか聞きたいよ」…はは(汗)。

ツバサ「あ、俺きれいな技で流れたことある。でんぐり返りしてフランケンシュタイナーしたときか」
…自慢入りました(汗)。でもツバサさんだから許す。こういうルチャ版珍プレー好プレーみたいなの、あるんですね。もちろんビリーさんのフィンタ失敗は珍…いや別にうったとことは関係ないですよ(汗)。

ビリー「何度もあの技やってて、失敗したことないのに、なんかこの時は『あ、なんか歩幅がおかしい』って思ったら『ああ、こんなことが起きた〜っ!』って」…神が降りましたね。
この話の間、お2人の口からチ○コとか○ンタマとかの単語が飛び交う。いやあのその。みんなこの話しか記憶になくなりますから、あの。


ビリーさんがツバサさんを知ったのは名前からで、「日本人ぽいけどもこういう名前のルチャドールけっこういるからな…」と思っていたところ、ゴングが何かで確認して「あ、やっぱり日本人だったんだ」と。
その後、直接会ったのもほぼ一度きりらしく、言葉をかわした記憶がないそうです。

ツバサ「『チ○コ打ったヤツだ』って俺が無視したんだったっけ」…ひど。

て感じで、メキシコではほとんど接点がなかったようです。へー。

ここで休憩となりました。すでに長いですが、とりあえずはここまで。後半に続く。


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